42年4月24日 朝の御理解
                        「入力者  千鶴子 」

 ご祈念中に 頂きました(?)三代金光様が 御神米にお書き下げを下さいましたですね。  こういうー お書き下げを下さいますよね、そのうお書き下げの この墨がですね、うす―い墨なんです。 そいでその「御神米」というその御神と神様の神という字がこのう紙にいっぱいこう散っておるとこういただいてですね 薄いうすい墨であのう書きますと 散りますね、紙が 御神米とこうお書き下げを頂いたそのう御神米の御神、神の字がこう吊っこ吊っておるところを それがあ~見た目にはその非常にこういいものですよ、だいたいはね、いいあの吊っておるのも けれども、まそれからわたくしがあの、今朝の御理解、はあ、これが今朝の御理解だなと 思うて感じたんですけれども ん~
 墨が薄いということは あの「修行が薄い」という事だと思いましたですね。やはり、苦労ね、苦労するとこうおっしゃるそのう墨(?)修行の例えに頂くんです。いわいる、 苦労が足りないと いわいる修行が足りないと修行が薄いと(テープが跳んでる)が
散るということはあ~神様の働きが散漫になるという事。 ほんとにあの大変な大変な事だとこう思うですね、椛目の場合なんかは まあわたくしを中心にと皆さんあ~一所懸命であるといたしましても ほんとに この位の信心で このようなおかげを頂いてということ以外なゃないですもんね。ね ですけどもそういう例えば頂いたおかげがです、   散漫になるという事は 大変な事だとこう思うのですよね、ようそのおかげが散ってしまうということは大変な事だと思うんです。いうなら 神様の悲しみだということなんです。 おかげを散らしてしまうということは 折角やったおかげをお~散らしてしまう事
それはそのまま神様のお悲しみだと わたしは思う。   
 
 どうでございましょうかね 皆さんこうやって、毎日お日参りなさいます、朝参りもなさいます、ね これで修行がでけておると思われたらあたしは 間違いだと思います。ね
 わたしは、修行というのはその これからだと思うんです。  
  ただ、 朝のしじまを破っての 朝参り、ね 確かに心がいやが上にも すがすがしゅうならしてもらえます。 これから皆さんがあ~それぞれの家業の行に勢を出されます、
 ね そのところが大事に ね 家業の行と応せられますその(?)まあ言い替えますと
 ああ、今日もまた、はたらかならんということになれば 苦労なのですけれども さあ、今日から又、この修行に取り組ませて頂くぞと それぞれの家業の中に私はあのう いわいる「 朝のすがすがしさ、昼のいそがしさ、」という忙しい御用の中にそれを修行として 生き生きとして取り組んでいく事だとこうおもうん。ね はじめて、いわいる夜のありがたさというものが頂ける。 「朝のすがすがしさ、昼のいそがしさ、夜のありがたさ」という日々がです あたくしはお道の信心でいう家業の行だと 「此の方の行は、火や水の行ではない 家業の行ぞ」と 火や水の行も結構、けれどもそれと共 家業の行をいよいよ(?)足らしめる為の行なのだという事。   此の方の行は ね、え~ご無礼 え~「表行よりは心行をせよ」と申される 表行というのは表にあらわれた行なん 
 ね 心行とはいわいる心の行 心の行という事については 非常にいろいろ深い意味がございます。ね 私が十何年前 この信行とはというて神様から頂いた言葉の中に 
 「信行とは暑い寒いを言わん」ことだとおっしゃいました。信行とは暑い寒いを言わん事。という事は あ~自然に起きて来る事の中に暑いもありゃ、寒いもあるんだと 
 それは 天候のようなものだと それを暑ければ暑いと不平をいい、寒ければ寒いとお~不平をいう こぼしたんでは信行にならない。ね じつない事もありゃ、つらい事もある、恥ずかしい思いもする事もある、腹立たつ思いもする事もある、いわいる、暑いである寒いである その、その事をです ね 私は暑い寒いをいうてはならんという事は、その事を私はあ~腹が立つ あ~情けないと言わずにです、そこから信心を頂いていこう 
 その事を修行とさして頂かしてもらうという 私は態度、信心態度というものがです、
 修行だと、 ね 私今日はもう、いよいよここんところに焦点をおいて ですから私頂きましたその御神願のです いわいる御神米とお書き下げを頂いたその御神その 神様の神という字がです ね 墨が薄かった為にとこうしっておる御神願を頂いてです これを
 御理解付けさせてもらいそれを 神様の言葉にもし直すならです ね どういう事になりますでしょうか? ね 「墨が薄けりゃ、おかげが死ぬぞ」というような事になるんじゃないでしょうか。ね そりゃ、わたくしがそげん思うんです。ね 修行が薄けりゃ、おかげが散るぞと  皆さんここん所を、どうでも一つ、おかげを頂きましてですね、あれも修行、これも修行という頂き方なんです。 あ~ここで一口言うとかならんと思うところをとあたしは修行することなん、ね 信行とは暑い寒いをいわぬことぞ。と ね 同時にこの方の行は、「火や水の行ではない、家業の行」と応せられますから、今日一日、なさせてもらう所のその う~家業の行というのが さまざまでございます。銘々、ねぇ
 その事をあたくしは行としての頂き方 そこには実意をかえがえ行にはならん。
 裏と表のある心をもってしたら もう行にはならん。
 昨日、堤きよしさんが、お父さんの選挙の事で、ま 日々(?)です、ですからあたくしあたくしだけではない皆のものが 何か頂かしてもらう神様の御言葉を何か頂きたい、 というて お届けがございました。お願いさせて頂きましたらあ~「神情の限りを尽くして」でしたかね、きよしさん! 神情の限りを尽くしてという事でございました。
 例えば良く お~選挙の事務所なんかにゃ 「必勝」とかね「必ず勝つ」と さあ頑張れ とか言ったような あ~言葉やらがまあそのお~ ふさわしいように申しますけれども ね 勝つとか負けるとか問題じゃないということなんですよ。信心させて頂いているものは 只、その事に修行として本気で打ち込むか 取り組むかとということで、問題なんです。ね ( ? )さんを始め、息子のきよしさんを始め、ね それもお~御用なさっておられる皆さん、特に例えばなら 総代さん級があ~総代さん級というて総代さん方が 北野にいくらでもおられますからそれのまあ一所懸命、それこそ (  ?  )
つもりで 大家をなさっておられます。中村さん。 秋山さん。 福島さん。他の御信者の方も(?)そのう、まっいうならば家内の信心にかけても、ひとつおかげを頂きたいというふうに思うておられ願っておられます。  
 ね ですから、そこまでがです ね そこがです あれやら、これやら、飾っとくちゃないです。あたくしは昨日、色んな事を聞かせてもろうちから、こんひとは馬鹿じゃないだろうかと思いました。( ? )何の為に信心しとるかとあたしは言いたいような思いがしました。朝から、(?)中村さんにその事を申しました。 ね 神様におすがりさせて頂いておると ね 病気の事ならばおかげを頂けれるけれども、人間関係の事ならばお繰り合わせを願えれるけれども 選挙の事だけは知らんとおっしゃる神様じゃないという事よ。ね つまらん人間心をつこうて もし、当選してならない事ものに当選したらどうするか。当選するする事がおかげということじゃない。問題その事を通して信心をほんとに頂かしていただこう、修行させて頂こう、その事によって力を頂こうというのが 元なん。  ね 誰でも例えばほんなら立候補するからにゃ、どうでも当選のおかげを頂きたいという願いは これは人間ですから誰しも同じ事。 ですから努力もする、神様におすがりもする 修行もする、さあっそれから先神様にお任せするんだ。
 ね 信者の限りを尽くしてお取次ぎを頂いて、そしてさまざまな嫌な事を耳にする事もあろう いやな思いをする事もあろう そこんところを 一つ 信行と思うて こここそ信行だと。ね 一生懸命そして御用もしにくかろうけれども そこんところの御用させて頂く事を 修行と思うて、わたくしはおかげを頂かないと 折角の神様が下さろうとするおかげが 散ってしまう。 あれや、これ人間心つこうたら修行にはならん。
 だからわたしは、堤さんに申しました。運動してくださる方 応援をして下さる方達に
 ね もう皆さんの心情を、まごころ込めて一生懸命になって頂くという事、只、ありがたいんだ。と また、堤さんは最近、ここでお届けされるみんなの 応援を受ける事がです、もう、このように有り難い嬉しい事はない というていつも涙を流してから お届けされます。皆のまごころに 触れられる事が有り難いのだ。それでいいのだ。もう、落ちるとか 落ちないとか 必勝とか 必勝でないとか ね もそこは神様にお任せするのだ。
 ね そこん所をです あたくし信心のあるもんと ないもんの違いをハッキリしていかなければ駄目だ。「いいえ!そんな訳にいけません、まっ選挙だけは」そいう考え方では
駄目だという事。只、問題が自分達がです どれだけ神情を片向けておるかという事、どれだけ神情の限りをつくしておるかと いう事なんです。この選挙の事だけではありません。堤さんの事だけではありません。ね 一時が万事にそうなんです。ね 
 今日、一日のあたくしの信行は、どのようなものだったであろうか。今日一日の「此の方の行は 火や水の行ではない 家業の行」とおっしゃるが 家業の行はどんなものであったじゃろうか。ね 水かかったり、火の行やら水の行やらしっかり出きる人が ありますけれど 家業の行はもう全然、駄目という人があります。これは、御道の信心の
一番、屑です。 ね なんなんさまの修行なら いざ知らず、ね 山に行って滝どん水をいただきゃ それで情がわくと思っとるけれど それだけで事が終わったとするならもう
御道の信心の修行はもう一番、修行の屑です。ね その事がです、家業の行の上に現されて行くという事が御道の修行なん。 家業の業なん。  ね その業が散漫になったらです、おかげが散漫になるという事、そのての事にです 神情の限りを尽くさしてもらう、
 はあ、今日も忙しかった、忙しかった、けれども ようもようも、お使い回しを頂いた。
 結構な修行をさせて頂いて、有難うございます。というところにです、要は、(?)有り難さというものが、あ~あるんじゃないだろうかと その有り難さにいただけるところのおかげでなからなければ本当のおかげではないという事。ね 本当のおかげを受けなければ、駄目だ。 作ったようなおかげではつまらん!  ね をあたくしが今朝から頂きます私は今朝、あたくし自身の事でもあると思いました。同時に今朝皆さん(?)に聞いてもらうし、御理解でもあると思いましたから ね あたくし皆さん、椛目に御縁頂いておる
 いや、今朝、こうして朝参りさせて頂いて御縁頂いているものが 全部この事に本気で
取り組ませて頂いてです。ね いうなら 水も漏らさんおかげにしていきたいと思う。
 ね 水も漏らさんという事は さほど 難しい事じゃない。その気になれば、ね
 きついときに腹が立つ時に (情けない思いをする時には)? これこそ神様の修行させて下さるんだなあと、 それを修行としていくか! あ~情けないと言いや もう苦労なん。それじゃつまらん。ね そこんところをほんとに修行させて 修行という修行精神をです 家に外に、家業の上に現していくところのおかげを蒙らして頂きまして 神様が
下さろうとする いよいよ、濃い濃いとした ね 「御神米」 とこうお書き下げをいただけるような、にく太々と「御神米」と親先生にいただけるような信心を頂きたい。ね 
 (にじのマラソン信心)?とはそういうようなあたくしは内容を持った修行をです、
いや、そういう修行にです取り組み、取り組む事ではないだろうかというふうに、思いました。どうぞ皆さん銘々が 今日の例えば私が頂いた御神願を皆さんが、頂かれたと思うて、いっぺん心なかその事頂いて ね 成る程 墨がうすけりゃ、ね おかげが散るぞと
神様のお声を頂いたつもりで、今日は御修行に、精進して頂きたいと思う。

                                    どうぞ。、